これぞまさしく神霊!というオーブ。
淡路の一ノ宮である旧官幣大社の
伊弉諾神宮に参拝したときに写した写真だが、境内に祭られている岩楠神社で沢山のオーブのお出迎えを受けた。
神社の横の大木は「夫婦大楠」、元は2本の木だったのが根元から合体して1本の木なったと言われており、樹齢は900年だそうだ。
お社のところと木の根元とにオーブが出ているが、お社の屋根にあるオーブが動き出している。
移動する瞬間を写真に捉えたようだけど、これを見るとオーブはやっぱりエネルギー体だということが分かると思う。
そしてもう一枚、こちらの写真も動き出した瞬間を写したようだ。
岩楠神社の右隣に、淡路島の祖霊を祭っている「淡路祖霊社」があるが、こちらでも動き出した瞬間のオーブが写った。
オーブ・たまゆら・エネルギーボールと呼び名はいくつかある。
ネットでオーブを写した写真を見てもほとんどがまん丸なので、それは多分動いていないオーブの写真だろうと思う。
動き出すと自身がエネルギー体なので、オーブ自身が光を出し彗星のように尾を引いているように見えるのかもしれない。
おのころ島神社の光のシャワーは、沢山のオーブの出現時の光の尾だと思う。
目に見えないから存在しないのではなくて、余りにも動きが早いのと存在する次元が違うのとで、人間には目視できないのだろう。
だから動き出す瞬間の写真を2枚も写せたのは、とてもラッキーだったと思っている。
デジカメや使い捨てカメラは感光体にシリコンを使っているのだが、光を捉える範囲の広いシリコンだから人間の目に見えないものを捉えて写す、そう何かで読んだ記憶がある。
デジカメになってからオーブがよく写るので、やはりそれは正解なんだろうね。
でも誰でもがオーブを写せるわけでもないようだ。
やはり写す人の感度も必要なようで、同じ場所を別人が写しても何も写らない。
通常はオーブはこの状態で写る場合がほとんどだ。
この写真は小さく縮小しているので見えないが、原版を拡大していくと小さなオーブがあちこちに写っている。
オーブがあちらこちらと動いているので、写真に写っても大きさの差が出るのだろう。
私が時々接近遭遇するキラキラ光り輝いて見える自然霊らしきものも、こうやって写真に写るオーブも、私はみんな「別個のエネルギー体」と呼んでいる。
この写真のオーブは神霊だからいいけど、中にはぎょっとするようなオーブもある。
ず黒い暗赤色だったり茶色になっているようなオーブとか、余りにも色が奇抜だったり毒々しい感じのも要注意。
私はそんなのを見たら鳥肌が出てくる。
そんなオーブの写真を写してしまったら、流しでもどこででもいいいので燃やすことだ。
それも最初に写真に塩をふりかけてから火をつけて、燃え尽きるのを待ってもう一度塩をかけてよく混ぜて、そしてお水で流してしまう。
塩も食塩などはダメだよ、祀りごとに使う塩はケチっちゃダメ、厳選しようね( ̄^ ̄)v
ラジオが人の目に見えない電波を捉えて音を出すように、テレビが同じく見えない電波を捉えて映像を見せるように、人の目に見えないからと言って存在しないものではないのがオーブなどの別個のエネルギー体だ。
ラジオやテレビが発明されるまでは、箱から音や映像が出るなんて信じなかったように、オーブもまた同じ理屈で目に見えない・耳に聞こえな・触れないという理由で信じられないのだろう。
でもね、多分近い将来このオーブといつでも出会えるようになるかもしれない。
その条件は・・・自身の心が次元上昇しないと無理だけど・・・